呟いたら炎上しそうだからブログで書く。
私が知育垢やってるせいかもしれないけど、X見てると中学受験も一大イベントになったなあと。まあ、今の中学受験する子たちの親世代が、まあまあ2ちゃんとかやってたSNSになじみの深い世代というのはあるのかもしれない。
中学受験をやったことがある人は「中学受験すべき!中受こそ最高!」と言うし、公立進学校コースだった人は、特に地方公立出身の人は「そんなことしなくても大学入れたけど?必要ある?」と言うし。でもどちらも真実なんだよね。
今の中受は大変と言うけど、聞く限り昔から大変。90年代には既に中居君主演で中受の過酷さを描いたドラマがあった。だから中受経験者たちはどうしてもその経験を正当化したくなるのだと思う。小学校時代の貴重な1,2年を勉強に費やしたことを「必要なかったんじゃ?」なんて言われたら、私なら立っていられないと思う。
一方で、私は後者の地方公立進学校組なのだけど、今子供を持つ立場になってわかったことがある。首都圏で見かける「地方公立進学校出身難関大」は、その地方の物凄く上澄みのできる子たちだったのだ。軽く「そんなことしなくても○○大入れたよ?」なんて皆言うのだけど(実際私も言っていた)、冷静に考えたら割合としては「小学校のクラスでだいたい1人か2人」のレベルなのだ。
小学校でクラスの誰もが認める「アイツ頭いいよな」って言われるような子。首都圏で見かける「地方公立進学校出身者で難関大」って人はそういう子だったのだと思う。でも自分がこのタイプだったからと言って、子供も「何もしなくても大丈夫」と過信してはいけない。才能があったのだよ勉強の。
そしてもう一つは後者の地頭いいタイプを都会の中受に突っ込んだらうまくいったかと言うと、私はそうでもないと思っている。「14歳で人間になる男児」の話ではないけど、特に発達系の特色がある子は14歳ごろに激変するので、そこから急に成績が上がった話もよく聞く。
ところで私の持論の一つに「東大に行くような子はどういうルートを通ろうが東大に行く」というのがありまして。要は中学受験しようが、高校受験しようが、東大に行くような子は途中経過がなんであれ東大に行くんですよ。途中で道を外さなければ。
中受の結果報告ツイで、合格不合格と、各校の偏差値を載せていた垢さんがありまして。スケジュール的な戦略は間違ってないと思うのだけど、まあ何というか、親はもう少し行けると思っていたけど結局着地すべきところに着地した、という感じで。
そうなんだよ、結局着地すべきところに着地するんだよな。それが最終学歴なのか、社会的な成功なのかはさておき。
時々「不登校だったけど○○!」とか「高卒中卒だけど○○!」みたいな成功例を見かけるけど、こういう方たちはもともと成功する人たちだったんですよ。ルートがちょっと変わったことで人より多くの努力が必要だったり、時間がかかったりはしているかもしれないけど、結局着地するところは同じだったと思うのです。つまりそういう能力がもともとあった人たち。地頭、と言い換えられるのかもしれない。
では中受なのか?高受なのか?はたまた小受なのか?
まーもう、こうなってきたら好きにしたらええやん?となるのだけど、一つ言えるのは、地頭いいタイプはもう幼少期で既にわかる。小受でペーパー難関校に対応できるような子は、中受でも高受でもいける。英語もおうち英語で先取りしようが、中学から始めようが、できるようになる。こういう子はお好きにどうぞだ。「努力」一つとっても違う。勉強だろうがスポーツだろうがなんだろうが「1時間」でやれることが他の子よりもずっと多いから当然伸びる。そうでない子は「1時間」でできることが少なく、では時間をかければいいのだけど時間は有限、結局限界がある。「結果」が違ってくるのはある意味当然なのだ。
そしてもう一つ思うのは、現在の中受の負荷が高過ぎる。なのに最終的に親が望む中受のリターンを手に入れられる家庭が少なすぎる。
中受で御三家に合格する人数は東大合格者よりも割に少なく。
また中受で御三家に合格しても、全員が東大に合格できるわけでもなく。
中受で御三家に入れなくても、東大に合格する子はそこそこ多く。
もし、親の望む最終的な願望(中受のリターン)が「最難関大学合格(東大合格)」にあるのだとしたら、小学校時代の3年間を犠牲にして挑むにはあまりにもリターンを得る確率が少なすぎるのではないかと思う。とはいえ、薄々みんなこのことには気づいていて、だから「MARCHだって入るの難しい」「勉強してもからかわれない環境を買うんだ」「公立中は荒れてるから」「内申点で決まる高校受験なんて不明瞭」とかいろいろ言うのだけどね。全部間違ってない。全部間違ってないけど、親自身に「なぜ中受なのか」と言う点にブレない信念がないと、なかなか難しい受験にいまやなっている。
「中受のリターンが『最難関大学合格にあるのだとしたら』」と書いたけど、確実にリターンを得るケースが一つあって、それが「大学付属受験」かなと。親が納得できる大学ならば入ってしまえば確実にリターンが狙える(と思う。内部進学条件とかわからないけど)。子はもう受験することもなく伸び伸び過ごせる。このケースなら、少々無理させてもとも思わなくはない。ただまあ、ある程度納得のいくだろう大学付属はやっぱり中受偏差値高いよねえ。だったらそこを大学受験するほうがいいのでは?とかとか。
でも結局。着地すべきところに着地していく、そう思うのだ。その過程でどういう道を進ませるかは、親のエゴだ趣味だでよいと思う。だって親なんだもん。
とはいえ、親が思う順風満帆な道を行かせても、その子の人生はその子のもの。何がどうなるかはわからない、と言うケースを私はたくさん見ている。前も書いたのも含まれるけども
・東大卒で少し就職→数年働いて大学同級生と結婚、専業主婦で小学生の母
・夢かなって難関士業とになったものの、数年後同期と結婚し夫の転勤多いため専業主婦で3児の母
・理系大学院卒→JTC研究職に就職したものの毎日消毒液を浴びる不安から退職。大学同級生と結婚し簿記取って子育てしながら経理
・難関大学からJTC就職、結婚したら子育て中心に生活したいと思うも出世ルートに乗せられバリキャリ女性管理職
・大学だけは行ってと家族に懇願されFラン大学に進むも就活うまくいかず、高卒待遇でぼちぼち技術職男性
・高卒でトラック運転手になるも、数年で自分の会社を立ち上げトラック会社社長に
本当に、色々だ。私が子供に負荷をかけたくないのは、私自身がめんどくさがりと言うのもあるけど、負荷かけたところで人生いろいろになっちゃうわけだし、ならば多少楽しく過ごしたほうがいいんじゃない?と思ってしまう。いずれにしても、小学生が3年間も遅くまで塾通いする生活は私はさせたくなかった。
まあ、小受させといて何言ってんだか、だよな。いいんだよ、これも親のエゴだ。せめて着地すべきところに、ソフトランディングで着地できるようにしてあげたいとは思うのだ。正解はわからないけれどね。