Chronicle of sky

ミドフォーママ黒猫がASD夫とASD息子、てんかん、協調運動障害、斜視などなど発達と治療に右往左往するブログ。

新年長の始まりに志望校を考える。

いよいよ11月。小学校受験の世界では今月からが新年度。現在年中の娘も新年長になり、既に1回目の授業は終わりました。親の私たちも、開講式・保護者会、授業見学などがあり、先生のお話を聞く中で新たな気持ちになったり、過去の先輩方のお話を聞く機会があったりと、いろいろと考える機会がありました。

そんな中で、改めて志望校について、再度考え始めました。というか、これから書くことは全部この数か月で1回検討したことばかりなんですよ!10周くらいまわって、結局最初の志望校に落ち着いたんですが、また、またもう10周くらい回ろうとしています(苦笑)。

12年間通わせる前提。それはつまりどういう人生を送らせたいか。

基本的に我が家は高校まで12年間通わせることを前提にしています。娘のお教室は個人教室なのですが、やはり我が家と同じ12年間お世話になることを前提としたご家庭が多く、また先生もそれを推奨されています。

12年間過ごす学校を検討するって、結構難しいなあと改めて感じています。大学付属で大学まで行くなら16年間。大学まで行くかどうかはさておき、付属大学に内部進学するかどうかで、中高の過ごし方も変わってきます。

そう、中高の過ごし方なんですよ、悩んでいるのは!

小学校については、現在検討している学校はどこもすばらしく、というか私立なのでもう素晴らしいのは当然ではあります。小中高一貫の学校なので、小学校に関しては多少の校風の違いはあれど、そこまで大きく小学生生活が変わるってことはないように思います。中学受験小とかと比べると、それはだいぶ違うと思いますが。

そんな中で、やっぱり違いがあるのは中高なんですよね。そして今悩んでいるのは、

  • 勉強中心で部活もほどほど、真面目に大学受験を目指す中高生活
  • 部活も生徒会も盛んで活動熱心な青春を謳歌する中高生活

どちらが娘に向いているのかなあ、と日々遠い目をしています(苦笑)。

一見、「青春を謳歌」って素晴らしいように思えるし、実際私は「青春を謳歌」した高校生活だったと思うんですが、でも私は地方在住だったんですよね。青春を謳歌、と言っても電車はすぐ終わるし、遅い時間に開いてるお店はないし、道は真っ暗だし、だいたい学校の近所にスーパーくらいしかないし、という環境だったので、まあ、都会っ子から見たら「謳歌した」ってほどじゃないんですよね。楽しかったけど。

でも、都会で「青春を謳歌」しようとしたらとにかく派手になりがちでは?という懸念があるんですよ。電車も夜遅くまで動いてるし、お店は開いてるし、道も町も明るいし。子どもは楽しいかもしれないけど、親としてはそりゃ心配です。

大学受験に関しては、高校までしかない学校に行くなら、ある程度国公立への進学実績がある学校がいいなと。受験勉強をする雰囲気はあってほしい。付属大学に進む子がそこそこいる学校なら、付属大学に進むでもいいかな、と親として思える学校に入れたい。という観点から検討すると上記2択になっちゃうんですよねえ。そりゃそうだ、付属大学に内部進学するなら、部活に生徒会に青春謳歌するよね、っていう。

意外にみんな遠くまで通学していた

あと、もうひとつ看過できないのが通学時間。我が家は同じお教室に通われている多くの方より、ちょっとだけ都心に近いんですが、我が家が「あそこは遠いから無理だよね」と思った学校に、結構通っているそうで。ただでさえ悩む志望校選びにが、通学範囲広がったらもっと悩ましくなってしまいます。まあ、大変なのは低学年のうちだけで、3年生くらいになったら問題なくなるんでしょうが、それでもやっぱり駅で一人で乗り換えている小学生とか見ると、ちょっと不安になってしまいます。これも慣れなんでしょうかね。。。

娘の小学校選びへのモチベーションをどう上げるかが課題

娘が通う幼稚園のそばには、割ときれいな大きな小学校があり、娘の幼稚園の子は半分くらいがその小学校に行きます。幼稚園の前に行っていた保育園の運動会や引き取り訓練もその小学校、幼稚園の運動会もその小学校で、娘は自然とそこの小学校に行く、と認識していたようなんですが、その小学校は実は隣の学区。越境で行けなくはないのですが、我が家にちょっと事情があって、そこの小学校には行かせないことにしています。娘には「学区外だから行けないよ」と伝えていますが、そこに行けないと知った瞬間、「そこに行けないならどこでもいい」と投げやりな態度になってしまったんですよね・・・。以降、小学校の話をしても「どこでもいい」と言われ。あんまりしつこく言うので嫌がられそうなので、様子を見つつ話していますが。。

ただ、お教室の勉強をがんばるとお弁当の学校に行ける、そこに行くためにはテストがある、というところまでは理解しているので、今後、お教室で他のお友達が話したり、先生が話したりするのを聞いて意識を持ってくれるのを期待はしていますが。

公開授業なんかも来年もコロナでどうなるかわからないですしね・・・。説明会や公開授業がない場合、娘を連れて下校時間に合わせて学校周辺にお散歩にでも行こうかな、と思っています。

とりあえずは新年長、スタートしました。お教室の時間も長くなったし、がんばれー!

 

 

隣人の暴言・ご近所トラブル問題備忘録②

 隣人の暴言問題その後。まあ、結論から言うと、結局は手詰まりなんですが、対応の仕方が少し見えてきました。

 

どこに相談すべきか

 

長年これについて悩んでいました。数年前法テラスに話を聞きに行ったこともあったんですが、「暴言を止めさせたい」という希望は、法的処置ではどうにもならないのが現状とのこと。暴言による慰謝料請求とか、そういう金銭的な請求はできるんですが、「止めさせる」というのは難しい。仮に裁判して勝って慰謝料もらっても、それで暴言がおさまるとは到底思えず、なんなら「金の亡者だ」くらい言いだしかねません。

 

迷惑防止条例違反という手もあるんですが、過去事例を見ると例えば1日に100件留守電入れるとか、1000回電話かけるとか、数年間毎日騒音とか、ちょっと常軌を逸したレベルでないと逮捕されないみたいなんですが、隣人はそのあたりは賢いようで警察沙汰になる行動はしないんですよね。なので、迷惑防止条例違反にも問えないし、当然警察沙汰にもできない。

 

そんな中、先日110番事件(隣人が110番した)の時に、少しヒントがあり、現時点では以下の2か所が相談先になりそうだということがわかりました。

 

 

地域包括支援センターは高齢者のことを相談する窓口です。今まで隣人の年齢が不明だったんですが、高齢者に該当する年齢ということで気づきました。警察署の生活安全課は、訴えたいことの具体性が現状弱い(騒音でもなくただの暴言、それ以外には何もしてこない)ので、ちょっと相談の仕方に悩んでしまいました。地域包括支援センターは、近隣の高齢者のことも相談できるとあったので、「認知症なんです!一人暮らしは危ないですよ!」という方向に持っていけたらいいな、と期待しながらまずは地域包括支援センターに行ってみました

 

地域包括支援センターでの相談

 

隣人の暴言動画があるので、直接支援センターにお話をしにいきました。あまり真面目に取り合ってもらえないんじゃ、と危惧していましたが、すでに警察から連携があって、様子を見に行くことになっていたそうです。警察の人も、話がおかしい感じがしたんでしょうね、認知症じゃないか、って連絡があったそう。

 

こちらも現在どういうことがあったか、どういう状況か、を伝えてましたが、やっぱり動画は強いですね。即理解していただけました。この時の話では、とりあえず訪問予定、こういうケースはなかなか時間がかかると思いますが、とのことでした。

 

夜間早朝に家の中でブツブツ言うように

お巡りさんに、あなたも関わらないようにしなさい、と言われた隣の人。直接かかわらないように、というところは守るのか、家の中から昼間暴言を叫んでいたのが、夜間や早朝に家の中からブツブツ言う、に変わりました。今の時期なので、窓を開けてたら隣に住む我が家には何か言ってるな、というのが聞こえますが、窓を閉めてしまえば聞こえません。

 

地域包括支援センターに行ったら、その後に生活安全課に行くことを考えていたのですが、現状騒音でもないし、窓閉めてたら聞こえないし、なんだか訴えとして弱いなあ、という感じになってしまいました。

 

とりあえず、地域包括支援センターの人にも状況をアップデートしつつ、訪問した結果を聞きました。

 

地域包括支援センターの人が訪問した限りは「問題なし」

これなんですよね。どうも隣の人も相当警戒していたみたいです、地域包括支援センターの人を。少し話をしたらしいですが、その範囲での受け答えには全く問題はなく、そこだけ見たら「何も心配ない」となってしまうそう。なので、緊急性を盾にお子さんの連絡先を割り出し連絡する、という方法は取れないそう。

 

ただ、動画を見た限り、とてもじゃないけど普通ではないので、警察を巻き込んでもらったほうがいい、ということでした。

 

しかし、その警察も現状は難しく・・・悩ましいです。

 

家族に直談判はNG

隣の人のお子さんはじめご家族、別の場所で暮らしていますが月に2,3度様子を見に来ているようです。小一時間来て、お昼も食べずに帰ってしまうので、まあ、そういう人だし推して知るべし、というところなんでしょう。

 

時々来ているのは知っているので、直談判をしにいくか、車に手紙と暴言DVDでもはさんでおくか、とかいろいろ考えてみたんですが、よくよく考えてみて、自分があんな親を持ってしまった子供だったら、間違いなく逃げ回るよな、と思いまして。だって責められるのが目に見えてるなら、そんなところ行きたくないし、きっと親から足が遠のくと思うんですよ。

 

それでは困るな、と思うし、こういう場合そもそもお互いけんか腰になりがちなので、やっぱり機関を間にはさんだほうがいいよな、と思っていたら、地域包括支援センターの方にも同じことを言われました。

 

結局手詰まり・・・でも多少収まったし、とりあえずはよしとする

はい、結局何も解決してませんが、知らないところで家の中でブツブツ言うくらいになったので、それほど困っているわけでもないし、とりあえずはよしとして様子見するしかないかな、というところです。

 

なかなか難しい問題ですね。また義母と直接対決がないとも限らないので、その時どう動くかはもう少しよく考えておきたいと思います。

 

発達ゆっくりめな子、保育園か幼稚園か

10月から正社員として転職しまして、前職場終わる9月末からこの1週間ほど結構忙しく。しばらくはキャッチアップで忙しくなりそうです。このブログも幼児教育だけにしぼって記事を書こうかと思っていましたが、子育て中心の徒然ブログに変更しようかなと思います。

さて、そんな忙しい時期のさなか、2歳8か月で言葉のあまり話せない息子、姉と同じ幼稚園に兄弟枠で入園できることが決まりました!兄弟枠はほぼ全入り、「でもお名前は言えてほしいですね、愛称でもよいので」と7月に幼稚園の先生に言われていましたが、結局お名前言えず・・・。他の言葉は出るようになってきたのに、自分の名前だけは頑なに拒否(苦笑)。なんでじゃ!

今回は、そんな発達ゆっくりめな、しかも早生まれの息子について、保育園にするか幼稚園にするか、悩んだことを書こうかと思います。

2歳8か月、現在の状況

息子の保育園は小規模保育園で、息子は現在その2歳児クラスにいます。2歳児さんは2人、1歳児9人、0歳児3人という構成で、2歳児さんは息子が早生まれ、もう一人の子も早生まれに近い月齢ということもあり、月齢高い1歳児さんとほぼ変わらず(苦笑)。現在の状況としては

  • お着替え、靴を脱ぐ履く、トイレなど、お手伝いが必要
  • ボタンとか当然できません。。
  • 言葉は二語文がようやく出たかな、程度。車を見て「おっきい!おっきい!」というような1歳児レベル。。
  • とにかく新幹線。

こんな感じです。お着替えもだけど、靴の着脱ができないことには幼稚園、園庭で遊んだりできないよ!と思ったり。ただ、娘もお着替え等は3歳くらいでようやく一人でできるようになった感じだったので、3歳になればなんとかなるのかな、と期待はしています。

親戚に保育士さんがいるのですが、その方の見立てでは、「半年くらい他の子より遅れてるかなあ、でもその程度よくあること」らしいです。

3歳児クラスと年少さん、幼稚園のほうが幼い子が多い気がする・・・

そうなんですよ。息子を幼稚園に入れると決めた最大の理由は、これなんです。

娘の入園時を思い出すと、保育園の3歳児クラスと、幼稚園に入りたての年少さんを比べると、やっぱり圧倒的に幼稚園の子のほうが幼いんですよ。そこはやっぱり、幼稚園入園まで家で過ごして初めて親と離れる子と、0歳児から保育園で揉まれている子ではたくましさが違います。幼稚園の4月なんて、校門から泣く子多数、みたいな。娘の時の年少さんたちの感じを思い出すと、保育園卒園時の同級生たちのほうがすごくしっかりしていたと思います。なんならオムツ外れてない子だって割といますし。

さらに3歳児クラスのある保育園は当然0歳児クラスからある大きな園で、0歳から持ち上がりの子も結構います。そういった、「その保育園に慣れているたくましい子たち」の輪の中に、発達ゆっくりめで早生まれの息子が入っていけるのかな?とちょっと不安になってしまいました。

上記の親戚の保育士さんには、幼稚園がマンモス園ということもあり「保育園で手厚く見てもらったら」と言われたんですが、幼稚園の子のほうが年少時は幼いことを考えると、息子がその中に入ってもやっていけるのではないか、と思い幼稚園に決めました。

年中進級時に再検討予定

来年は娘が年長になり、娘は今から息子と一緒に幼稚園に行くことを楽しみにしています。もちろん息子も。先日面接に行った時も、廊下でお姉ちゃんの名前を連呼していました(笑)。来年1年は一緒に幼稚園に通ってもらって、息子が年中に進級するときにもう一度考える予定です。

というのも年少時に幼かった子たちも1年で大きく成長します。また、いろんなブログを見ていて、保育園で加配が必要なような子が知らずに幼稚園に入って、周りについていけなくなり年中で保育園に変わった、という話が結構出てきた印象があるのです。なので、息子も来年1年は幼稚園に行ってもらって、周りについていくのが大変そうなら、年中に上がるときに保育園に変わるでもいいかな、と思っています。

 

何はともあれ、来年行く先が決まったというのは、やっぱり精神衛生上いいですね。育休ではない今、3歳児で保育園待機児童とかなってしまうと目も当てられないので・・・。来年が楽しみです。

 

帰省してました。

4連休、思いきって実家に帰省してきました。お正月以来です。

 

田舎でどういう反応があるかわからなかったんですが、実家には泊まらずホテルに泊まり、1日2時間程度実家を訪問。あとは遊びに行ったり・・・という割とあっさりした帰省の仕方だったんですが、なんか、これいい感じかも?と思いました。

 

親も2時間くらい話したりするとそこそこ疲れるようだし、ホテルに泊まるので、実家側の準備みたいなのは全くしなくていいし。もちろん布団干したりは私自身でやっていましたが、やっぱり多少「家を片付けとかないと」みたいなのがあるらしく。ちーちゃんたちも途中で公園に行きたがるので、ホテルに泊まって滞在中は1日1~2時間顔を出す、というスタイルがみんな楽で良かった。

 

しかし4連休。結構混んでましたねえ。我が家は朝一の飛行機に乗る予定で7時前に羽田についたんですが、まあ、すごい人!後でニュースになってましたね。前回から4,5日なら羽田まで車で行くのが一番安くて楽、というのがわかって、今回もそうしたんですが、近い駐車場にぎりぎり停められてよかった・・・。結構渋滞もしてたみたいだし、このままコロナと付き合っていかねばならん、とみんな腹をくくったのかな、という気がします。

 

しかし羽田は混んでいた・・・。こんなに混むならJGC修業目指そうかと血迷いかけたよ・・・。

 

岡山に2泊して、神戸に1泊したんですよ。須磨水族館でラッコを見るために。そしたらいろいろあって、水族館についたのが17時ごろ、ラッコ館は17時クローズで結局ラッコは見られず・・・。せっかく来たのに・・・とだいぶがっかりしたんですが、ラッコが見たいと言っていたちーちゃんは、なんだかそれなりに楽しんでいて、そんなにがっかりもしてなくて、私がなんだか複雑な気持ち(苦笑)。また今度ラッコ見に行こう。須磨なら岡山からレンタカーで日帰りしたほうがよかったかな。

 

なんだかたっくんにバスブームが来ていたのか?道を歩くたびに「バス~、バス~、うお~~~!」と大声で大興奮で叫ぶので、面白すぎた。かなり恥ずかしかったけど。

 

ちーちゃんは、わかってはいたけど、「ホテルを楽しみたい」がより助長されていて、晩御飯も2泊ともホテルにしたいとか言われたり、両親とお昼を食べて別れた後、公園でも行くかと思っていたらホテルに戻ってゆっくりしたいとか言い出すし。でも岡山の市街地のホテルはビジネスホテル中心だから、そんなにホテルを楽しむ感じじゃないのよ。。今回は古い老舗ホテルに泊まったので、設備はすごく古かったけど、部屋は広いし対応は良いしで、すごく良かった。でも大浴場があるホテルがいいよねえ、と家族みんな思ってるので、次は奮発するかも。

 

お正月は帰省できるかどうかかなり怪しいと思っていて、それもあって今回帰省したのだけど、仮に次の帰省がGWだと、たっくんはベビーカーも卒業して、飛行機もお膝の上を卒業しちゃって、一気に帰省が楽になるかも。しゃべり始めの、一番かわいい時期を親に見せられてよかった。

 

4連休で急に涼しくなって、疲れもあって、みんな風邪気味。早く服を取り揃えなきゃ。布団や毛布も出さなきゃなあ。。

 

 

【介護と子育て】認知症から見る「理想的な生き方」とは

私はいわゆる高齢出産組ですが、私の両親も高齢出産で私を産みました。なので、現在父は80代前半、母は70代後半と、同世代の中ではいち早く介護が始まっています。ただ、実際に介護をしているのは、実家に暮らす独身の弟です。私は東京にいるし、子どもも小さいしでなかなか協力できないのですが、介護が必要な両親のこれまでの人生と、幼い子供たちのこれからの人生について、今後思ったことをいくつか書いていこうかと思います。

今回は、軽度認知症と診断されている母の話です。

軽度認知症の症状

「軽度認知症」と言われると、ちょっとボケたかな?くらいの症状をイメージしますが、正直母を見て、これで軽度なのか、と診断を聞いて思いました。具体的には、

  • こちらが仕事をしているのがわかっているはずなのに平日昼間に何度も電話してきて同じ話をする
  • お金を盗っただろう、貸してくれと言っただろう、などお金に関すること虚言が多くなる
  • 夜中に起きてブツブツ文句言う、家の中を徘徊する
  • 怒りっぽくなる、文句が多くなる
  • 曜日や日付があいまい
  • 体の動かない父に対して暴言

とにかく文句が多くなり、怒りっぽくなって、何か文句を言うために1日に何度も電話してきたり。母の場合は体の不自由な80代前半の父に対しても、連日の暴言で、結局弟が父が病気で入院したのを機に施設を探し、退院後は父は施設に入っています。

今年の初めごろがかなり大変だったんですが、MRIを撮って軽度認知症がわかってから、母自身も「脳に問題があるから」ということがわかって安心したのか、現在は「忘れやすい自分」をある程度受け入れて以前よりは落ち着いていますが、それでも不調な時は上記のような行動に出ます。

認知症で攻撃的になりやすい人=我慢の人生を送ってきた人?

実は現在の家の隣にも、母の軽度認知症をスケールアップしたような人がいて、長年近隣トラブルに遭っているんですが、その人と母との行動の共通点が、とにかく周囲に対して文句を言うんですよね。攻撃的な性格になるのは認知症の初期症状ではよくあることらしいです。

こちらの動画が非常に参考になりました。

【注意】こういう性格(生き方)の人は、アルツハイマーになりやすい。

自分勝手な人は認知症になりやすい、まあうなずけます。でも「我慢してきた人」も認知症になりやすい?意外な感じがしますが、母を見ているとわからなくもないな、と思います。私さえ我慢すれば、という考えは人生に納得しているわけではないので、世の中や他の人に対して、文句や嫉妬を抱え続けていたのではないかと。それが認知症になるにつれ、表面に出てきただけではないかと思います。あるいは理性で押さえられなくなってしまったか。

でも他の人に比べれば恵まれた環境・・・結局は性格による?

しかし母の場合、これまでの人生は割と恵まれた方だと思うのです。

  • 1歳の頃、父(私の祖父)を戦争で亡くすも、父の家は裕福。父の資産と母(祖母)の遺族年金で生活には困らず
  • 父は母の家に婿入り。実母と同居で嫁姑の諍いもなく、家事育児も手伝ってもらえる

確かに両親とも昔の人なので、婿入りとはいえ「父」の権力は絶対、という亭主関白な家だったので、我慢も多かったとは思いますが、実母と同居で嫁姑問題と無縁とか、今のご時世でも皆がうらやむ環境ですよ。それなのに「私も嫁に行ってみたかった」とか言うんですからね。ワイドショーでもドラマでも、あれだけ嫁姑問題取り扱ってるのに、ですよ。

結局隣の芝が青く見えてしまう、自分の恵まれた環境に目を向けられなくて、卑屈になってしまう、その性格のせいもあるのではないか?と思います。人を羨んで嫉妬する、結果今の環境に文句を言う。それが認知症で押さえられなくなって、表層に出てきてしまう。母を見ているとそんな感じがします。

ポジティブに、ストレスフリーで笑って人生を過ごせるように

子どもたちに対しては、当然「誰かを羨んで嫉妬して文句を言う」なんて人生歩んでほしくはありません。将来攻撃的な認知症にならないためには?とにかくポジティブに、ストレスなく笑って過ごせるように。怒ることもあるけれど、とにかく楽しく笑って過ごすことを大切にしたいと思っています。

父は80代前半で、寝たきりまではいかないですが、体が不自由になってきています。けれど頭はしっかりしていて、今のところ認知症の心配はありません。私は父と性格がよく似ていて、私さえ我慢すれば、なんて微塵も考えないタイプ(苦笑)。「いや、これずーっと我慢するの!?無理!」と言って暴れるタイプなので・・・まあ、認知症の心配はあまりないかも。。

一方で、特に娘は不安になりやすいタイプで、私の母の神経質な面を引いてしまっているかも、と感じています。今回のコロナで、親である私が不安そうな表情や行動をするのは子供に良くないと思い、ただ不安をあおるだけのテレビはシャットアウト、極力いつも通りの生活をするように心がけていました。夫も当初不安そうにしていたのですが、私がテレビをシャットアウトして「そんなに心配しなくても、もうみんな罹ってるって!」という良くも悪く余裕を持った態度を貫いていたら、夫もなんだか吹っ切れたようで、今では私以上に大らかになっています(苦笑)。

とにかく私は「大丈夫、大丈夫。そんなのたいしたことないよ!」って笑って言い続けたいと思っています。夫も子供も少しでもポジティブ思考になってもらえるように。

ま、今後の受験を考えたら、めーっちゃ難しいんだけどもな!