先週、余計なことを言ってしまうことについて考察しましたが。
「余計なことを言ってしまうのは、本人にその意識はなく、単に状態について言及しているだけでは」というのが前回の私の推測なのだけども。
でまあ、ちびモラの息子について、こんなことも言及したのだけども。
そうそう、うちもちびモラだから「ママ、〇〇していいよ〜」とかいう言い方を良くするし、自分が上のような言い方をすごくするんだよね。
— 黒猫@子鉄年長♂小2♀ (@cororon777) 2024年2月12日
うちも説教してるが、最近モラは生まれつきの特性なんじゃないかと思い始めた。つまり直らない直せない。今は違う手を悩み中。 https://t.co/FO3iuS0Lhj
上記で呟いた通り、これはもう生まれ持った特性で、直すことは難しいんじゃないか?と。でもじゃあなぜ、こんな風に上から目線的な言葉遣いになってしまうのだろうと、本当にいろいろと考えたのだけど、とりあえずたどり着いた結論。
「状況に応じた言葉遣いができない」
究極的にはここに至るんじゃないかと。
例えば「ママも食べていいよ~」と言う話。私たちは通常意識していないけど、この一言が問題ない場合と、問題がある場合とが実はある。
1. 問題ないケース
息子が自分の食べているハッピーセットのポテトを「ママも食べていいよ~」とくれる。
2. 若干問題があるケース
息子が食事をしている横で慌ただしく家事をしている時に「ママも食べていいよ~」と言われる。
1番は問題ないですよね。息子自身が食べているものをもらうのだから、この言い方で間違いない。
そして2番も言うほど問題があるわけではないのだけど、ただでさえ家事でバタバタしている時にこういう言い方されると「なんでお前の許可がいんねん!」と思ってしまうこともあるし、そのように聞こえる状況も割とあると思う。
では、なぜ2番のケースでこういう言い方をしてしまうのか。多分本人的には慌ただしく動いているママを見て、「ママもご飯食べなよ~」くらいの気持ちから来る言葉だと思うんだよね。けれど「ママに食べてほしい」という気持ちを言葉にする時に、1番と2番の状況の違いを理解できず「ママも食べていいよ~」という同じ表現になってしまうのではないか。
これ、今までASDっぽいと思った人たちの言動に当てはめてみると結構しっくりくるんだよな。夫もそう。結局のところ言葉のチョイスが良くない。特に「相手に失礼」というマナーや気遣い面の言葉選びが本当に下手なんだよな・・・。それでも夫はまだ、というかもしかしたら経験で身に着けたのかもしれないけど「黙って聞く」ができるので、基本的にトラブルはほとんどないのだけど。
このマナーや気遣い面での言葉選びって、ものすごく難しくて、最近娘にも注意したんだけど「狭い」「低い」「遅い」「暗い」等、はネガティブワードになりえるので、お友達との関係であまり使わない方がいいなと。娘、お友達の家で「階段狭い」って言ってヒヤヒヤしたんだよね・・・。大人なら例えばよそのおうちでこういう言葉を出さないというのは無意識レベルでできると思うのだけど、子供やASDにはこういう「ニュアンス」的な話は難しいのか、と改めて思った。
こうやって紐解いていくと、実際には我々が無意識レベルでできていることって物凄く多いんだなと。これら一つ一つがASDだと対応できないから「余計な一言」「上から目線」と周囲に思われてしまうのかもしれない。
結局のところ一つ一つ、細かく言語化して、表現力を高めていくしかないのかなあ。難しい。
なので、とりあえずは気になる言葉遣いがあったら「こういう時はこういう風に言うんだよ」と訂正するようにはしつつ、あまり細かく言っても嫌になるだろうから、どうしても気になる時だけ言うようにしつつ。
ぬぬ、難しいな。。