去年、こちらの記事で、「二言目には居場所居場所って・・・居場所ってなんやねん!」みたいなことを言ってたのですけども。
「そんなに居場所が大事なら、なんで学校が居場所になれないんだ、学校を居場所にするにはどうしたらいいんだ」とこの時は思っていたわけですが。
この発達障害児でよくいう「居場所」について、ここ最近私なりに理解し納得したことがあります。
それは「怒られたり、お小言を言われたりしない場所」ではないかと思うのです。
ASDにしろADHDにしろ、まあ~、突っ込もうと思ったらいっくらでも突っ込めるんですよ。あんまり言ってもな・・・と思ってもう言うのやめましたけど、靴が右左逆とか、足組まないとか、足上げないとか、座ってとか立ってとかほんといろいろ・・・。
おそらく小学校になるとそれはそれは、怒られないまでも注意されることが多くなって、それで嫌になっちゃったりイライラしたり、でまたそれを注意されて・・・という悪循環、容易に想像できる。
まあ、そんな日々だとしたら、「多少何をやっても怒られない、注意されない環境」でのんびりしたくなるよねそりゃ、息抜きしたいよね、って確かに思うし、それがよく言われる「居場所」なんじゃないかと。
ただ、もう一つ思うことがあって、この「多少のことは許してもらえる注意されない環境」は、多分家庭以外のところに求めなきゃいけないんじゃないかなと。もうちょっというと、環境と言うより「なんでも許してくれるお小言を言わない大人」が必要で、その大人は、親以外でないといけない、と思うのです。
なんだかよくわからないけど、身近にいるASD、ADHDの人、明確に身内と身内じゃない人で線引きがあるんですよね。身うちじゃない人には多少ちゃんとした態度を取るのに、身内には途端にわがまま全開になったりとか。なので、親が「多少のことは許してお小言を言わない」をやっちゃうと、わがまま全開になってなんなら暴言罵言の方向へ行ってしまう可能性もあるのではないかなと思ったり。
ところが身内じゃない外の人だと、本人もやんわり遠慮も働くのでわがままは言わないし、でもとりあえず怒られたりお小言言われたりしない、という程よい環境が出来上がるのではないかと思うのです。
息子もなー、確かにOTの先生とか、以前通っていたビジョントレーニングの先生とか、最近では休職中の義妹が一緒にプラレールやってくれたりとか、そういうのが息抜きになっていた感はあるんだよね。ある意味居場所なのかもしれない。義母に対しては偉そうな態度取ったりもするので、義母はもう身内認定になっちゃってるんだろうな。
学童が息子にとってどういう位置づけになるかわからないし、丁寧に面倒見てくれる私立とはいえ、普段の学校生活がどうなるかわからないので何とも言えないけど、「居場所」の意味を一旦「怒られない場所」と想定して、必要になったときは検討しておこうかな。