Chronicle of sky

ミドフォーママ黒猫がASD夫とASD息子、てんかん、協調運動障害、斜視などなど発達と治療に右往左往するブログ。

小学生の「母」として共働きの限界

4月から小学1年生になる息子と、3年生になる娘。二人の学校生活を「ごく普通に」整えようとすればするほど、最近共働きの限界を感じている。そんな話を。

 

まず始めに言っておくと、子供にどれくらい手がかかるかは、子供による。子による。マジで子供による。大事なことなので3回言いました。でも、子供に手がかかるかどうかだけではない、ということにようやく気付いた。

 

もうひとつ。私は柔軟に働ける職場で働いているけど仕事を辞めるつもりはない。必要に応じて仕事を変えることはあるかもしれないけれど。それを前提にして以下のお話。


母親が「学校」という場に関係する人に顔を売っておく重要性

難しく書いてしまったけど、ママ友や学校の先生はもちろん、クラスメイトの子供たちにも「〇〇さんのお母様」「〇〇ちゃんママ」と認識して顔見知りになっておくのはやっぱり重要だと思う。ママ友もお茶したりランチしたりまで仲良くならなくとも、会えばお話して連絡先交換して、という程度にお付き合いできる人を作っておくべきかなと。だから学校の参観日とか懇談会とかのイベントは母が行くべきだな、というのを娘が2年生になってようやく理解した。

というのも、ママ友も学校の先生も、子供の友達も、顔を見知っているかどうかでトラブルになった時の対応が全然違うんじゃないかと思う。

以前エデュで、母子で発達障害の方がいて、お母様がもうそれはそれはライフハックを試行錯誤した結果、頻繁に役員をやって学校に出向き、先生や他の保護者と仲良くなっておいて会うたびに先手必勝で軽く謝っちゃう、そうすることで多少のトラブルには目をつむってもらう、というのを見て、なるほど!と思ったのだけど。

Twitterなんかでよく見る子供のトラブルも、先生に厳しいこと言われた案件も、他の親御さんや先生と良好な関係があれば違った結果になったんじゃないかなと言うのを感じる。だから娘が2年生になってからの保護者会、参観日なんかは全部私が行くようにしている。幼稚園の頃も含め、以前は夫と交代で行っていたのだけども。

ただ、これは私みたいな人見知りだから毎回行くようにした、って話で、数少ないチャンスでママ友作れるような社交的なママさんなら、夫と交代で行っても何ら問題ないと思う。どちらにせよ学校の先生、ママ友、子供の友達と顔見知りになっておくのは重要かと

 

「一人で遊ぶのは嫌」な低学年。

娘は学童に行かずに家で過ごしているわけですが、意外に「ママ見てて」みたいなのが多い。やっぱりね、一人でテレビも読書もいいんだけど、遊ぶとなったら一人は嫌みたいなんだよね・・・。これは息子も。プラレールなんか別に一人でもできるし、なんなら下手に手を出そうものなら「違うー」とか言ってくるのに、やっぱり横で見守ってほしいみたいなんだよねえ。

でも私は仕事をしているから仕事中相手できないのはもちろん、平日夜や土日もたまっている家事を片づけるのが大変で、全然相手できない。今は夫が土日仕事というのもあって、夫も土日は相手できない。ということで大活躍しているのが義母と義妹で。娘にしても、息子にしても、基本隣で見ていればいいだけなので、負担も少ないみたい。

いやさ、でもこうやって3世代総動員に結局なっちゃってるわけなんですよ今。義母も義妹も子供が乳幼児だったころからちょいちょい預かって見ててくれたりしたんだけど、今の方が相当助かってる。というのも乳幼児期はやろうと思えばシッターとか、保育園延長とか、「子供のお世話」をしてくれる先って結構あったんだけど、流石に「小学生の遊び相手」をしてくれる先はあまりないのよね・・・。うちはまだ兄弟がいるからいいけど、それでも遊びたいものが違ったりして困る時も多い。

そうなってくると母は「仕事」「家事」「育児(世話)」まではできても「遊び相手」までする余裕がさすがになくて、父が遊び相手として戦力外になってしまったらもう詰むんだよね・・・。そして結局仕事も家事も育児も、これをどれだけがんばったって「遊んでくれなかった」ことが結局子供の心に大きな影響を与えたりして・・・ああ、もうね。。

公立に行かせて近所でお友達と遊べば、というのはあるだろけど、低学年では子供だけで遊ばせるのはトラブルの元。結局親がついていくしかないし、そもそも学校の友達と遊ぶのと、家で遊ぶのとでは子供としてもやっぱり違うし。


「自立」を促す年齢故、とにかく「手間」が多い

これ。乳幼児期なら全部親がやってあげればよかったんですよね。子供の自立と言ってもお着替えとか?ご飯とか?自分で頑張りましょう!的な。それはそれで待つのが面倒だったけど、今は別の大変さがある。

小学生は学校に学童に習い事に、もうね、例えば風邪ひいて1日休むだけで、3か所に連絡しないといけないわけですよ。あちこちがシステム化されて、それぞれに違うアプリや連絡方法を求められて、もう登録作業も大変なら連絡するのも大変です。システム化されて返って大変になっている気がする。昔なら3か所電話するだけだったのに。


さらには一人で行動できてしまうようになって、とにかく「何か」を起こす。今週も娘が道端で落とし物して運よく警察署に届いてて、それを取りに行かねばならないという「手間」が発生しました。一昨日は息子が机の角で頭ぶつけて救急病院行く手間も発生しました。(大事に至らなくてそれはよかったのだけど)

もうとにかく「何か」を起こしすぎ!

警察署に行くにも娘連れて16時半までに行かなきゃいけないから平日日中だし、先日の救急病院は帰宅したら23時、翌日私は早朝勤務の日で、もう眠くてヘロヘロだし。。

 

 

なんというか、乳幼児期はあまりイレギュラーなタスクってそこまで発生しなくて、せいぜいお熱とか怪我とかなので、休みさえ調整できれば夫婦で役割分担できることって結構多かったと思うのだけど、今はもうなんか、タスクが多すぎて下手に役割分担しようものなら漏れが発生しそうだし、上記のような落とし物だの病院だの、イレギュラーも本当に頻繁に発生する。だから、専業ママさんも呟いてたけど、「遊撃手」が家庭内に必要なんだよね。「何かあった時に対応できるよう手が空いてる人」みたいな。

共働きだとその「空いてる手」がないのが大変なんだよね、結局・・・。

もっとシンプルにすれば問題ないのはわかっている。学校と学童だけにして、宿題も勉強も子供任せ、勉強わからないならそういう地頭だから仕方ないね、習い事もさせずに平日はMAX学童。土日はパパとママで交代で家事をするから、その間はそれぞれと遊ぶか子供だけであそんでね。学校帰ってお友達のおうちに行きたい?子供だけで行くのはダメ、ママは平日お仕事だから無理。

そんな感じで多少子供にも無理させればなんとかなるのはわかってるけど、振り切れないのよね。子供の生活を「子供らしく」整えようとすればするほど、共働きの限界を感じるというのはこういうこと。


結論としてはやっぱり共働きで核家族は私は無理があると思う。義親実親のちょっとした「手」が最低限ないと、夫婦だけの手では回らないなと。もし夫婦だけで解決しようとするならば、家政婦さんとか雇って家事を助けてもらうしかないんじゃないか。それもありだと思うけどね。。。


長々と書いてしまったが、今日も今日とてお仕事との両立がむばります、ということで。

 

発達障害児のよく言う「居場所」について現段階での理解

去年、こちらの記事で、「二言目には居場所居場所って・・・居場所ってなんやねん!」みたいなことを言ってたのですけども。

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「そんなに居場所が大事なら、なんで学校が居場所になれないんだ、学校を居場所にするにはどうしたらいいんだ」とこの時は思っていたわけですが。

 

この発達障害児でよくいう「居場所」について、ここ最近私なりに理解し納得したことがあります。

 

それは「怒られたり、お小言を言われたりしない場所」ではないかと思うのです。

 

ASDにしろADHDにしろ、まあ~、突っ込もうと思ったらいっくらでも突っ込めるんですよ。あんまり言ってもな・・・と思ってもう言うのやめましたけど、靴が右左逆とか、足組まないとか、足上げないとか、座ってとか立ってとかほんといろいろ・・・。

 

おそらく小学校になるとそれはそれは、怒られないまでも注意されることが多くなって、それで嫌になっちゃったりイライラしたり、でまたそれを注意されて・・・という悪循環、容易に想像できる。

 

まあ、そんな日々だとしたら、「多少何をやっても怒られない、注意されない環境」でのんびりしたくなるよねそりゃ、息抜きしたいよね、って確かに思うし、それがよく言われる「居場所」なんじゃないかと。

 

ただ、もう一つ思うことがあって、この「多少のことは許してもらえる注意されない環境」は、多分家庭以外のところに求めなきゃいけないんじゃないかなと。もうちょっというと、環境と言うより「なんでも許してくれるお小言を言わない大人」が必要で、その大人は、親以外でないといけない、と思うのです。

 

なんだかよくわからないけど、身近にいるASDADHDの人、明確に身内と身内じゃない人で線引きがあるんですよね。身うちじゃない人には多少ちゃんとした態度を取るのに、身内には途端にわがまま全開になったりとか。なので、親が「多少のことは許してお小言を言わない」をやっちゃうと、わがまま全開になってなんなら暴言罵言の方向へ行ってしまう可能性もあるのではないかなと思ったり。

 

ところが身内じゃない外の人だと、本人もやんわり遠慮も働くのでわがままは言わないし、でもとりあえず怒られたりお小言言われたりしない、という程よい環境が出来上がるのではないかと思うのです。

 

息子もなー、確かにOTの先生とか、以前通っていたビジョントレーニングの先生とか、最近では休職中の義妹が一緒にプラレールやってくれたりとか、そういうのが息抜きになっていた感はあるんだよね。ある意味居場所なのかもしれない。義母に対しては偉そうな態度取ったりもするので、義母はもう身内認定になっちゃってるんだろうな。

 

学童が息子にとってどういう位置づけになるかわからないし、丁寧に面倒見てくれる私立とはいえ、普段の学校生活がどうなるかわからないので何とも言えないけど、「居場所」の意味を一旦「怒られない場所」と想定して、必要になったときは検討しておこうかな。

 

幼稚園の面談でした。

先週、幼稚園の面談に行ってきました。

 

3学期の面談は自由面談で、先生からのご指名か、希望した人のみ。私は上の子の時も毎年3学期は面談してもらっていて、主に次年度についての心がけ的なことを聞いていました。

 

というか、普段預かり保育で担任の先生ともほとんど話さないし、かといって本人が話してくれるわけでもなく、幼稚園での様子が全然わからないので、こういう時に話聞かないことには本当に何もわからない・・・。でもみんな希望しないのかーって思ってたのだけど。

 

最近ようやくわかった。。。幼稚園の後、みんなで公園遊びとかしている集団に入っていれば、だいたい幼稚園での様子がわかるからみんな面談とかする必要なかったのか・・・。おもちゃ独り占めしちゃう子とか、そういう中でもう目立っちゃってるし、お母さん大変そうだった。。

 

と言うことで改めて、息子の面談。

 

発達面は確かに気になりますが、私が最も気にしていたのはお友達との関係性。例えばそれこそおもちゃを独り占めしちゃったりとか、癇癪起こしちゃったり、余計な一言でケンカしちゃったりとか、そういうことがないか。叩いたとかあればすぐに報告が来るので、そういうのがないのでそこは安心してたんだけれども。

 

特段お友達との関係で、先生が問題視しているようなことは全くなかったので、それは一安心でした。

 

先生が気にしていたのが、息子が気に入っているおもちゃは不人気なおもちゃらしく、いつも割と一人で遊ぶことになってしまう、本人は気にしてなさそうだし、誰かが「入れてー」と来たら一緒に遊ぶけれど、小学校に入ってソウルメイトができたらいいですね!とのこと。

 

先生の話の中で、先生は気にしていないけど私が少し気になったのは、いわゆる「チクる」行為が割とあるようだということ。「〇〇くんがこんなことしてるよー」って言うような。内容的に気にするほどでもないのか?先生は「教えてくれてありがとう、じゃあ息子君〇〇くんに教えてあげて」みたいな返しをしてくれているそう。先生、ほんと返しがお上手・・・ありがとうございます。

 

総じて小学校に入ってもそんなに心配することはなさそうでした。癇癪と言うか、地団太を踏んで一人怒る、みたいな瞬間があって、それはそれで人に迷惑かけずに自分の気持ちを処理しようとしているので私は好意的に見ているのだけど、そうは言ってもあんまり頻繁だとなあ、と心配してたのだけど、そんなこともないそうで。

 

先生からは斜視、目の話をすごく聞かれて、その話もしていたら1時間近く話してました。斜視弱視は、幼稚園でもメガネの子をそれなりに見るので、幼稚園の先生としても気になったようです。

 

そういえば斜視手術の後のことをあまり書いてなかったですね。。。それもいずれ。

 

ということで、幼稚園の面談終了。とりあえずは問題なく小学生になれそうです。

結局のところ「言葉の表現力」の問題では。

先週、余計なことを言ってしまうことについて考察しましたが。

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「余計なことを言ってしまうのは、本人にその意識はなく、単に状態について言及しているだけでは」というのが前回の私の推測なのだけども。

 

でまあ、ちびモラの息子について、こんなことも言及したのだけども。

 

上記で呟いた通り、これはもう生まれ持った特性で、直すことは難しいんじゃないか?と。でもじゃあなぜ、こんな風に上から目線的な言葉遣いになってしまうのだろうと、本当にいろいろと考えたのだけど、とりあえずたどり着いた結論。

 

「状況に応じた言葉遣いができない」

 

究極的にはここに至るんじゃないかと。


例えば「ママも食べていいよ~」と言う話。私たちは通常意識していないけど、この一言が問題ない場合と、問題がある場合とが実はある。

 

1. 問題ないケース
息子が自分の食べているハッピーセットのポテトを「ママも食べていいよ~」とくれる。

 

2. 若干問題があるケース
息子が食事をしている横で慌ただしく家事をしている時に「ママも食べていいよ~」と言われる。


1番は問題ないですよね。息子自身が食べているものをもらうのだから、この言い方で間違いない。

 

そして2番も言うほど問題があるわけではないのだけど、ただでさえ家事でバタバタしている時にこういう言い方されると「なんでお前の許可がいんねん!」と思ってしまうこともあるし、そのように聞こえる状況も割とあると思う。

 

では、なぜ2番のケースでこういう言い方をしてしまうのか。多分本人的には慌ただしく動いているママを見て、「ママもご飯食べなよ~」くらいの気持ちから来る言葉だと思うんだよね。けれど「ママに食べてほしい」という気持ちを言葉にする時に、1番と2番の状況の違いを理解できず「ママも食べていいよ~」という同じ表現になってしまうのではないか。

 

これ、今までASDっぽいと思った人たちの言動に当てはめてみると結構しっくりくるんだよな。夫もそう。結局のところ言葉のチョイスが良くない。特に「相手に失礼」というマナーや気遣い面の言葉選びが本当に下手なんだよな・・・。それでも夫はまだ、というかもしかしたら経験で身に着けたのかもしれないけど「黙って聞く」ができるので、基本的にトラブルはほとんどないのだけど。

 

このマナーや気遣い面での言葉選びって、ものすごく難しくて、最近娘にも注意したんだけど「狭い」「低い」「遅い」「暗い」等、はネガティブワードになりえるので、お友達との関係であまり使わない方がいいなと。娘、お友達の家で「階段狭い」って言ってヒヤヒヤしたんだよね・・・。大人なら例えばよそのおうちでこういう言葉を出さないというのは無意識レベルでできると思うのだけど、子供やASDにはこういう「ニュアンス」的な話は難しいのか、と改めて思った。

 

こうやって紐解いていくと、実際には我々が無意識レベルでできていることって物凄く多いんだなと。これら一つ一つがASDだと対応できないから「余計な一言」「上から目線」と周囲に思われてしまうのかもしれない。

 

結局のところ一つ一つ、細かく言語化して、表現力を高めていくしかないのかなあ。難しい。

 

なので、とりあえずは気になる言葉遣いがあったら「こういう時はこういう風に言うんだよ」と訂正するようにはしつつ、あまり細かく言っても嫌になるだろうから、どうしても気になる時だけ言うようにしつつ。

 

ぬぬ、難しいな。。

 

 

お疲れモード

タスクが多すぎて疲弊中です。。

 

Twitterでもつぶやいたけど、うっかり学童の習い事の申し込み締め切りを失念していて。問い合わせてなんとかしていただきましたが。

 

でもさ、でもさ、ちょーっと言わせてもらうとさ、習い事の締切が、学童の本申込みの締め切りとは別で、しかも1週間も前ってちょっと酷くない?まだ本申込みも出してないのに😓

 

まあ、洗礼だね。。

 

そんな中、三連休翌日は息子の学習机を買いにIKEAに。息子は振替休日でお休みなので、病院行くついでに一緒に。

 

娘の机がIKEAのHaugaで、別に一緒のにする必要なかったんだけど、この周りが囲われてるのが消しカスやモノが落ちなくていいんだよね。。むしろ息子向き。IKEA、どこも遠くてほんとどうしようかと思ったんだけど、頑張って買いに行ってきた。

 

www.ikea.com

 

そして疲れた。。。スキーウェアの片付けとかしつつ、もうヘロヘロです。

 

なんか旅行行くのは楽しいんだけど、事前準備から旅行中のアテンドから片付けまで全部やってると疲れすぎてもういや!ってなる。。。夏休みは長期旅行企画してたけど、ちょっと嫌になってきた。。。

 

とりあえず疲れが抜けない・・・。もう若くはないと実感するよね。。

はああああ。。