Chronicle of sky

ミドフォーママ黒猫が主に2018年1月生まれの息子の教育に右往左往するブログ。たまに私立小の娘の話も。

「お手伝い」の本当の意味。

小受と言えばお手伝い、お手伝いと言えば小受。

 

そんなわけないですけど、女子校では鉄板の質問「お手伝いは何をしますか?」それに向けて仕込みは上々でしょうか皆様。私は去年、最初の面接の1週間前からお手伝いさせ始めました。「子供は直前の記憶から答える」を実践して。結果この質問についてはばっちりでした。

 

小受とは関係なく、私も子供の頃よく学校で言われました「お手伝いをしましょう」。でもうちは親が「余計時間がかかるからいい」というタイプで(苦笑)。私自身も大学で一人暮らしをして、「別に子供の頃お手伝いしなくても家事とか必要に迫られてやればみんなできるでしょ」と長らく思っていました。佐藤ママも「大人になってやればいい」みたいなことを書かれていたように思います。

 

そして子供が生まれてからは「お手伝いより、お着替えとかお片付けとか自分のことを自分でやってくれー」などと思い。

 

小学校受験でお手伝いが求められるのも、なんというか昔から言われている「お手伝いをしましょう」を実践できる良い子を求められてるのかな、などとうがった見方をしていたのですが。

 

あれこれいろいろ問題のある息子のために奔走し、同時にいろんな問題のある大人を見ていく中で、「お手伝い」の本当の意味に少し気づけた気がします。前置きが長くなりましたが今日はそんな話を。

 

巧緻性とか体幹とか、幼児の発達に大切なことがお手伝いを通して実践できる

幼児にお手伝いが求められる最大の理由はこれなんじゃないかと思うのです。

 

例えば雑巾がけ。雑巾絞りが考査で出る学校もありますが、これは力の入れ方持ち方が大事で、手先の動きや力のコントロールなど巧緻性に関係します。そして雑巾がけ。これは体幹を鍛えられるそうなんですよ。雑巾がけは感覚統合的な見地から行くとどうもとってもよい動き!らしく。

 

それ以外にも掃除にしろ料理にしろ、道具を使うこと全般について「手先を動かす」「力をコントロールする」という感覚統合的に良い動作が多くお手伝いには出てきます。また「お箸とスプーンとコップを並べて」などのちょっとした用事でも、2つ3つの指示を出すことでお話をきちんときく習慣がつきます。

 

小学校受験で「おうちでもやってください」と言われたことだけれども、これらは発達に問題がある子たちにもすごく役に立つことなんですよね。むしろそういう子たちこそ、常日頃から実践することで良い影響になる。小受するような娘みたいなタイプは家でやらなくてもすぐできちゃいますからね。息子のような子こそ毎日取り組めばいいんでしょうけど・・・まあなかなか難しいですが(苦笑)。

 

お手伝い=他者への奉仕で、もしかしたら人を慮れるようになるのでは?

ここ最近の私の持論に「他者を慮れないタイプは鬱になりやすい」があります。悪い人ではないのに「人を慮れない」タイプがいるんですよね。例えばプレゼントをあげるとき「相手が欲しいもの」について全く考えられず「自分があげたいもの」をあげてしまう。

 

子育てをするにあたり、こうならないためにはどうしたらいいんだろう、と考えたときに、もしかしたら「お手伝い」が良いのかもしれないと思ったりしたのです。

 

「まずは自分のことを自分でやれるように」というのも考えるのだけど、それだと結局自分のことしか考えないことになってしまう。でも「お手伝い」って「誰かのため」の行動が多いと思うんですよ。まあ「お手伝い」は基本的に「家事」になるので家事全般、他の家族のためですからね。

 

だから、そういう「誰かのため」、奉仕的な行動を通して他者のことも考えられる子になるのではないか、とも思うのです。他者を慮れるようになるかはさておき、少なくとも他者の行動を気に掛けるようにはなるのではないかと。

 

こちらはまだ実際のところはわかりませんが。。

 

結局「昔の子供」に求められていたことはよく考えられていた

お手伝いにしろ、昔の遊び(ケンケンパとか駒回しとか輪投げとかあやとりに折り紙etc)にしろ、結局子供の発達のためによく考えられていたことなんですよね。いや、もしかしたら、後付けで昔の子供と今の子供を比べて、必要なものがそうだという結論になったのかもしれないですけども。

 

小受を終えて、ようやく小受の本当の意味に気づかされた気分です。まあ、あれはやり過ぎだと思うけれども。

 

息子も少しずつ実践させていきたいと思います。