Chronicle of sky

ミドフォーママ黒猫がASD夫とASD息子、てんかん、協調運動障害、斜視などなど発達と治療に右往左往するブログ。

嬉したのし幼稚園の運動会

先日はうれしたのし、息子の幼稚園の運動会でした。

 

小学校の校庭を借りての運動会。息子はバルーンと、玉入れと、男女混合リレーです。

 

1学期の幼稚園の先生との面談では、運動会練習についてだいぶ心配されました。バルーンは集団演技になるので、集団についてこれるか、イヤイヤ発動したりしないかなど。ところがふたを開けてみればそこそこ絶好調。お友達に引っ張られることもなく(去年のお遊戯会のときは引っ張って行ってもらってた)、ちゃんと自分で動けていました。

 

息子の幼稚園は保育中に体操教室があるんですが、その体操参観の時に知ったのですが、意外に息子、体操に関しては「並」なんですよ。何かにつけ「できない子グループ」に入っちゃう人ですが、体操に関しては「イヤイヤ」発動の子も結構多く、そんな中で普通に課題をクリアしていたので、本人も体操は好きなよう。

 

そんなわけでバルーン、結構ちゃんとできてました。

 

次の玉入れは・・・まあ、これは外周にいるにぎやかし集団の一人となっていました(笑)。まあ、母も玉入れではそんなもんだった。

 

最後にリレー。大丈夫か?と思ってたらこれがこれが。なんだかよくわからないけど、今年のクラスの雰囲気なのか、なんというか、たとえて言うなら「おてて振りながら優雅に走る」みたいな感じの子が多くて。娘が年中の時のクラスはもっと闘志丸出しな感じだったので、びっくりだったのだけども。なので、そんな子が多い中で、フォームがちょっとおかしいけど、しっかり走れた息子はむしろ「ちゃんと走ってるほう」で、ある意味びっくりでした。

 

年長さんたちは組体操とソーラン節なんだけど、年長さんたちの必須課題、ブリッジと足上げは不完全ながらも既にできているので、来年も心配なさそう。

 

お友達とのやりとりも、ちょっかい出されたら仕返ししたり、自分からちょっかい出したり、全然お友達いないわけではなかったようで一安心。ヤマハ幼児科の件で凹んでたけど、なんだかこれなら小学校行っても問題ない気がしてきた。後は勉強面のフォローだけできれば。。

 

 

さて、娘も通った幼稚園。卒園児かけっこがあるので、娘も参加。同様に去年娘と同じクラスだったお友達たちも大集結していました。

 

卒園児かけっこは、「かけっこ教室の実力見せてやれ!」と送り出したものの、スタートがへたっぴで飛び出してしまい、結局4人中3位。あら残念(苦笑)。それはさておき、久々に会った友達ととても楽しく過ごせたようでよかったです。普段公園遊びとかさせてあげられないし、近所にお友達もいないし、ママも仕事があるのでママ友と約束することもできないし、で家で過ごすことが多いのでね。楽しそうでよかった。

 

さて、毎年運動会の後は家族で体調を崩すので(去年は奇跡的に崩さなかった)気を付けなければ。寒くなってきたよね・・・。

 

 

 

ヤマハ幼児科、ぷらいまりー1で脱落。。

5月からヤマハの幼児科に通っていた息子。

 

2月に体験レッスンに行き。

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「ドレド」で躓き「ドレミファミレド」がなかなか弾けず

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そういえば、娘も練習させるの大変だったな、今が大変なんだなと思い出し

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ここまで頑張ってきたんですが、結局開始半年、教本が1冊終わったところで脱落することに。 

 

というのも、来年2月の幼児科の発表会に出るかどうか、暫定で決めなければいけないと言われて、先生に「出れると・・・思います?」と聞いてみたところ、「うーん・・・正直なところ、息子君は息子君のペースで個人でやられたほうがいいかもしれません・・・」と言われてしまったんですよね・・・。

 

実は私もそれは薄々感じていて。

 

ヤマハの幼児科、意外に進むのが早いんですよ。1曲をじっくりやるというより、なんとなく弾けるようになったらどんどん次へ進んで行く感じ。月齢高い子にはそんなに難しいものでもなくて、弾ける子はその場で弾いちゃったり。どれも短い曲なので、常時4~5曲やっている感じで、実は結構量がおおいんですよね。

 

でも「ドレミファミレド」にあそこまで躓く息子には、せいぜい2曲くらいしかまっとうに弾けず、弾けない曲がどんどん積みあがってしまう。それでも教室で弾く分にはなんとかついて行ってるとは思ってたんだけど、やっぱりなかなか難しかった。

 

一応、弾けるようにはなってるんですよ、ゆっくりと。「ドレミファミレド」でだいぶ躓いてましたが、その後の曲もできるようになってきてるんですけど、みんなはもっと先に行ってしまっていたという。

 

結局11月から個人レッスンに切り替えることにしました。

 

一応ヤマハで個人レッスンお願いしていますが、娘のオンラインの先生にも見てもらう予定。でもオンラインの先生はもう枠がない一方、ヤマハは私の都合的にベストな時間帯になったので、たぶんヤマハかな・・・。

 

別にそこまで無理してピアノやらなくてもとも思うんですが、年長冬のピアニカと小学校の音楽の授業でやっていけるためにも、両手で弾けて楽譜が読めるところまでは持っていきたい・・・。けどもう、練習に付き合う私が心折れそうです・・・。

 

とりあえず、個人レッスンでがんばってみる・・・。

 

英語教室の前期レポート

子供たちの通っている英語教室では半期に一度、レポートが出ます。ということで前期のレポートが返ってきました。

 

小1娘のレポート

いやー、すごい。3段階評価で、全項目「Excelent」一番良い評価でした。

 

通常うちの英語教室では1年生までは会話クラスのみ、2年生から文法クラスとの併用を勧められるんですが、娘は1年生から学校で英語の授業があることを鑑み、1年早く文法クラスに入れてもらいました。その文法クラスのレポートまでもすべてExcelent。マジか。すごいな娘。

 

会話クラスは幼児コースの時は「声が大きい」「積極的に参加している」等、授業態度面の項目が多くて、娘はだいたいこの「声の大きさ」とか積極性の項目が「Good(普通)」だったんですが、1年生コースになって前期は新しい子が入ったせいもあってか評価が少し緩くなったのと、一緒のクラスになった子とすごく気があうようで、それで積極的にもなれているよう。

 

文法クラスは、そんなに難しいことをやってないんですけど、地味な宿題が多くて、なんというか、「勉強する体力」みたいなのが1年生と2年生では違うのがつらいと感じた半年でした。たとえるなら1年生は10分勉強すると飽きちゃうけど、2年生は30分くらいできる、みたいな差。2年生を想定して宿題が出るので、いやー、もうやらせるのが大変だった。特に読みの宿題。前半はそこまで手が回らなかったけど、後半はちゃんと読みの宿題もやらせてたんだけど「早い段階でできていました」とか言われて。ほったらかしておいてもできたのかもしかして。

 

先生のコメントで「多読に挑戦してみましょう」ってあったけど、いや~、まだ無理じゃない?

 

年中息子のレポート

一方で息子は、ほぼ全項目「Good(普通)」で2つほど「がんばりましょう」が。

 

その「がんばりましょう」の項目が、「授業に集中している」と「先生の指示が聞ける」で、やっぱりちょろちょろしてんのかお前!

 

私から見ると実は結構単語を知っていたりするんですけど、ちょろちょろしてふざけてて、レッスンでそれをちゃんと披露しないから、評価につながらないんだよなー。これについては娘もそうだったので(娘の場合は、あてられると恥ずかしくて言えない)まあ成長待ちかな。

 

娘の時に、やっぱりクラスにちょろちょろしてる男子がいたんですけど、5歳を過ぎたあたりからちゃんとできるようになっていたので、5歳を過ぎればきっといろいろ整うはず・・・!

 

 

正直小学校上がるまでの英語に関しては、英語教室はほとんど「ただ行くだけ」で、それ以外ではWorld Wide Kidsを週何回か見せたりするくらいで、緩い感じでやっていて。

ただ、最近は予習や宿題やっていかないと、授業でわからなかったら楽しくないかな、と思って「ここをやります」と言われているところに関しては1,2回予習したり、読みの宿題として出ているものは、少しやったりしているのだけど、息子のほうはなかなかなー。ただ、息子のほうが英語教室好きみたいなので、まだましかな。

 

オンラインのほうが安くていいんですけど、未就学児はゲームしたり体動かしたりするほうが楽しいだろうし、オンラインだとなかなか体系立てて身に着けるのが難しいかなと。例えば「次回までにこのページの単語を覚えて来てね」みたいな宿題が出て覚えていく、ってなかなかやらないじゃない?オンラインだと。(あるのかもしれないけど)なので、引き続き英語教室続行です。結構高いんだけどね😅

 

文法クラスとか毎週毎週書き取りの宿題出てガッツリフォニックスやってんのに、うちの英語教室の英検目標、小6で4級なんだよな。まあ英検だけがすべてじゃないけども。

 

ということで、後期も引き続き頑張ってほしいものです😃

 

「お手伝い」の本当の意味。

小受と言えばお手伝い、お手伝いと言えば小受。

 

そんなわけないですけど、女子校では鉄板の質問「お手伝いは何をしますか?」それに向けて仕込みは上々でしょうか皆様。私は去年、最初の面接の1週間前からお手伝いさせ始めました。「子供は直前の記憶から答える」を実践して。結果この質問についてはばっちりでした。

 

小受とは関係なく、私も子供の頃よく学校で言われました「お手伝いをしましょう」。でもうちは親が「余計時間がかかるからいい」というタイプで(苦笑)。私自身も大学で一人暮らしをして、「別に子供の頃お手伝いしなくても家事とか必要に迫られてやればみんなできるでしょ」と長らく思っていました。佐藤ママも「大人になってやればいい」みたいなことを書かれていたように思います。

 

そして子供が生まれてからは「お手伝いより、お着替えとかお片付けとか自分のことを自分でやってくれー」などと思い。

 

小学校受験でお手伝いが求められるのも、なんというか昔から言われている「お手伝いをしましょう」を実践できる良い子を求められてるのかな、などとうがった見方をしていたのですが。

 

あれこれいろいろ問題のある息子のために奔走し、同時にいろんな問題のある大人を見ていく中で、「お手伝い」の本当の意味に少し気づけた気がします。前置きが長くなりましたが今日はそんな話を。

 

巧緻性とか体幹とか、幼児の発達に大切なことがお手伝いを通して実践できる

幼児にお手伝いが求められる最大の理由はこれなんじゃないかと思うのです。

 

例えば雑巾がけ。雑巾絞りが考査で出る学校もありますが、これは力の入れ方持ち方が大事で、手先の動きや力のコントロールなど巧緻性に関係します。そして雑巾がけ。これは体幹を鍛えられるそうなんですよ。雑巾がけは感覚統合的な見地から行くとどうもとってもよい動き!らしく。

 

それ以外にも掃除にしろ料理にしろ、道具を使うこと全般について「手先を動かす」「力をコントロールする」という感覚統合的に良い動作が多くお手伝いには出てきます。また「お箸とスプーンとコップを並べて」などのちょっとした用事でも、2つ3つの指示を出すことでお話をきちんときく習慣がつきます。

 

小学校受験で「おうちでもやってください」と言われたことだけれども、これらは発達に問題がある子たちにもすごく役に立つことなんですよね。むしろそういう子たちこそ、常日頃から実践することで良い影響になる。小受するような娘みたいなタイプは家でやらなくてもすぐできちゃいますからね。息子のような子こそ毎日取り組めばいいんでしょうけど・・・まあなかなか難しいですが(苦笑)。

 

お手伝い=他者への奉仕で、もしかしたら人を慮れるようになるのでは?

ここ最近の私の持論に「他者を慮れないタイプは鬱になりやすい」があります。悪い人ではないのに「人を慮れない」タイプがいるんですよね。例えばプレゼントをあげるとき「相手が欲しいもの」について全く考えられず「自分があげたいもの」をあげてしまう。

 

子育てをするにあたり、こうならないためにはどうしたらいいんだろう、と考えたときに、もしかしたら「お手伝い」が良いのかもしれないと思ったりしたのです。

 

「まずは自分のことを自分でやれるように」というのも考えるのだけど、それだと結局自分のことしか考えないことになってしまう。でも「お手伝い」って「誰かのため」の行動が多いと思うんですよ。まあ「お手伝い」は基本的に「家事」になるので家事全般、他の家族のためですからね。

 

だから、そういう「誰かのため」、奉仕的な行動を通して他者のことも考えられる子になるのではないか、とも思うのです。他者を慮れるようになるかはさておき、少なくとも他者の行動を気に掛けるようにはなるのではないかと。

 

こちらはまだ実際のところはわかりませんが。。

 

結局「昔の子供」に求められていたことはよく考えられていた

お手伝いにしろ、昔の遊び(ケンケンパとか駒回しとか輪投げとかあやとりに折り紙etc)にしろ、結局子供の発達のためによく考えられていたことなんですよね。いや、もしかしたら、後付けで昔の子供と今の子供を比べて、必要なものがそうだという結論になったのかもしれないですけども。

 

小受を終えて、ようやく小受の本当の意味に気づかされた気分です。まあ、あれはやり過ぎだと思うけれども。

 

息子も少しずつ実践させていきたいと思います。

自由な都会、不自由な地方。

昨日から話題になってますねえ。

oceans.tokyo.jp

 

所得制限の話が、私はなかなかその気持ちが理解できなかったんですが、最近ようやく理由がわかってきました。多分、東京のような大きな街で育つのと、地方で育つのでは根本的な考え方、経験がまず違うのではと。

 

地方育ちは、「不自由」からスタートする。

都会育ちは、「自由」からスタートする。

 

多分最も大きな差が、ここじゃないかと思うのです。

 

所得は低い。けれどお金があっても「不自由」する地方。

確かに地方の平均所得は低いので、それに見合った生活をしないといけないんですが、その前にお金があっても「不自由」が存在するのが地方なんです。

 

例えば我が家では出かける時に必ず子供たちは水筒を持参します。時には大人の私も。旅行先でもです。むしろ旅行先ほど必須。

 

というのも昔実家に帰省した時に、ふらりと子供とお散歩にでかけたんです。まだ暑かった9月。手ぶらだったけど喉が渇いたら自販機でお茶買えばいいか、そう思って。長らく東京で生活して私は実家での暮らしをすっかり忘れていました。

 

喉が渇いたな、って思ったとき、歩けども歩けども自販機がない!コンビニもない!

 

正確には自販機もコンビニも存在するんです。でも都会のように「歩けば自販機がある、コンビニがある」ではなく、「あそこに自販機があるから向かう、コンビニがあるから向かう」と狙って行かないと出会えないんですよ。

 

これが「お金があっても『不自由』する」理由なんですよね。お金があっても買えない。水筒持参は節約でもあるけど買いたい時に買える場所がないかもしれない、と言う保険。お弁当もそう。周囲にランチできる場所がないから、節約も兼ねてお弁当。

 

逆に言うと都会っ子がお金を浪費してしまう理由でもあるんですよ、これ。何でもあるから「出かけた先で買えばいいや」とジュース買ったりスタバ行ったりetc。

 

「自由」故にお金がかかる都会生活

東京は選択肢が本当に多いです。20歳そこそこで大阪でバンドをやっていた私は「本気でやりたいなら東京に行け」と言われました。東京とはそれほど選択肢が、チャンスが多い場所。地方にあった「不自由」さはなく、なんでも「自由」に選べます。選べますが、ピンからキリまで存在する都会では、「自由」に選ぶにはお金がかかります。

 

これくらい稼いでるんだから、これくらいの家には住んでもいいだろう、これくらいの車に乗ったほうがいいだろう、公立小から私立小から、有名塾に中学受験に私立中高一貫校によりどりみどり、じゃあいいところに行かせてあげよう、小学校から私立もいいね!って我が家ですね(笑)。自由に選択しようと思ったらお金がかかります。

 

「自由」しか経験していない人には「不自由」を受け入れるのは難しい。稼ぐしかない。

都会育ちが地方移住に失敗するのも、無駄に東京にいると上へ上へと目指さなければならない強迫観念みたいなのがあるのも、多分「自由」しか経験してないゆえに「不自由」をなかなか受け入れられないんじゃないかな、と思うのです。

 

地方で都会的なお金の使い方をしていてはすぐに破綻します。駅前ターミナルビルとかで働いたら地方でもなんでもそろってますけど毎日外でランチ食べて食後にスタバ買って、1日にペットボトルのお茶数本買って・・・ってやってたらすぐ2000円くらい行っちゃいます。

 

お茶は家で水出しして水筒に入れて持参、コーヒーもお弁当も自宅から持参、週に何回かは近くにランチに行ってもいいかな、夜はたまに友達と会うとき以外は自宅に帰って自炊。まあ、そんな生活です。もっと何にもないところの勤務なら毎日水筒お弁当コーヒー持参に、仕事後は家に直帰して自炊。週末は大きなスーパーへ買いだしかねて家族でおでかけ。そんな生活。私は全然平気ですけど、なんでもあることに慣れた人にはつらいかもしれないです。

 

都会にも年収低めな人いっぱいいますけど、やっぱり稼ぎが上がるともっと自由を求めてしまう気持ちはよくわかります。お金があれば選べる選択肢がそこにあるのだもの。頑張れば手が届くかもしれないのだもの。頑張って稼いだところで選べるものがない地方との違い。引かれる税金に文句言いたくなる気持ちも確かにわかります。

 

 

ところで、冒頭の方、Twitterでは「電通の肩書で仕事ができてただけの人が移住に後悔して書いたお気持ちポエム」みたいに言われてますけど(苦笑)、なんだかんだでちゃんと地方公務員としてがんばってるようなので、いいじゃないですか。あそこは地方再生として以前から割と頑張っている場所なので、柔軟な考え方の職員さんが多いんでしょうね。

 

まあ、私は。地方の嫌なところもめっちゃあるので、あんまり戻りたくはないですけどね。都会で不自由さを受け入れる実践をしながら、頑張っていきたいと思います。